増岡 聖子 (ますおかせいこ)
血液型:O型
8月19日生まれ:しし座
広島県呉市出身
大学在学中より、広島県の放送局でラジオ番組のパーソナリティーやテレビ番組のレポーターを務める。卒業後は、一貫してフリーパーソナリティーとして活動。その後、番組出演に加えてCMナレーター・イベントMC等おしゃべりの仕事と共に、放送原稿・タウン誌記事などのライター、イベント企画なども手掛ける。
1990年に結婚して上京。(夫はミュージシャン。私の妊娠を期にデキチャッタ就職をし、現在は税理士事務所の会社員とミュージシャンの兼業。更に子どもサッカーのコーチも務める自由人。)
1996年に長男;惟温(いおん)を、1999年に長女;藍音(あいん)を出産。以後は、ラジオ番組、ナレーションを中心に活動を続ける。
2006年より、健康番組の取材をもとに、健康情報をナビゲートする取材報告会「グルパ」を主宰。
以降、番組パーソナリティーだけではなく、セミナーや講演会など活動の場を広げる。
音楽への関心
自分自身は、高校三年生まで、音楽大学に進学するつもりでピアノに取り組んでいた。ところが、当時レッスンを受けていた大学教授は、誰も笑顔を見たことがないというほど恐い人であったにも関わらず、私が弾くとクスクス笑う。実は、よくそんなに短い指で弾けるものだということであったらしい。最初はウケた!とも思ったが、あの人を笑わせるくらい短い指では先が知れていると考え直し、突然ピアノへの道を断念。
夫は、プロのロックミュージシャンとなったが(LORANのベーシスト。このグループを知る人はあまりいないが、ミスチルの桜井さんや、つんくは一目置いてくれていたらしい。)、音楽で食べて行くのが難しいことを目の当たりにして、自ら方向転換したことを正しかったと確信している。
現在は、子供達の練習につき合いながら、日々、怒鳴り散らしては知識をひけらかし、ストレス解消を図っているので、やって来たことが無駄だった訳ではないとも思っている。
健康への関心
長男が生まれる一年前に実父が脳梗塞で倒れ、植物状態で4年半を過ごして他界した。又、父は被爆者だったが、被爆者手帳の申請をしていなかった為に、意識の無い父に代わって私が申請手続きを行った。
子供の頃から聞かされていた父の体験談を思い出しながら歴史を辿り、証人探しをしたのだ。父の子供の頃の疎開先に足を運んだり、広島の図書館で缶詰になって調べたり・・・
これを機会に、平和であることの喜びと、健康でいられることへの幸せを身近な課題として追究するようになった。子供が授かってからは、尚更、健康でいることの責任をも考えるようになった。
食への興味を満足させるべく、雑穀料理の勉強も始めた。
1998年から担当したラジオ番組「健康なんでも相談」を通し、医学の常識・健康の常識にも、社会的な背景や隠された事情がある場合もあることなどを知ることとなり、以降、取材報告会や講演、ネットラジオを通して情報発信している。
仕事への関心
ある時、若いADさんから、
「聖子さん、仕事が好きですか? どうして好きですか?」と聞かれて即答した。
「好きだよぉ~。だって、私、人の話を聞くのが大好きなんだもん。インタビュアーで良かったぁ~って思うよ。そうでなかったら、初めて話す人に、自分の人生や本音をそう安々と話してはもらえないでしょう!?」
「パーソナリティーの人は、皆そうなんでしょうか?」
「話を聞くことよりも、話を聞いてもらうことが好きな人もいるかもしれない。でも、私は、聞いてもらうより聞く方が好きだなぁ。」
ナレーションの仕事の方が多かった頃は、音楽の様に聴いてもらえるようにと心を砕いていて、それはそれで、やっぱり好きだったなぁ。などと、ちょっと煮詰まってしまったADさんの言葉をきっかけに、改めて、この仕事が好きなことに気付かされた。
インタビューをさせていただいた相手から、後々、嬉しいメッセージを頂く事がよくある♪
ある医師からは、「初体験のインタビューの収録があまりに楽しかったから、ある有名番組の人気アナウンサーの取材を引き受けたら、とても疲れた。インタビュアーの力量の違いだったんだね!」
あるカウンセラーからは、「あなたは、話す相手にとてもエネルギーを与えていることに気づいてる?あなたと話すと、相手は元気になるのよ!!」
身に余る言葉だけど、本当に嬉しい・・・・。